他人のための行動は貢献?自己犠牲? - アフィリエイトで脱サラ (ニートが月15万円稼ぐブログ)

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他人のための行動は貢献?自己犠牲?

先生


ふみさと「先生、『他人のために行動する』って、貢献なの?自己犠牲なの?」

キリギリス先生「他人や相手のために自分がガマンして行動しているなら自己犠牲で」
キリギリス先生「自分が相手を助けたいと思って行動しているなら貢献だよ」

ふみさと「じゃあ、お金をもらうために仕方なく、本当はやりたくない仕事を引き受けたり、」
ふみさと「顔も見たくない上司がいる会社に仕事をしに行くのは・・・」
ふみさと「ガマンしてやっているから『貢献』じゃなくて『自己犠牲』なんだね?」

キリギリス先生「そうだね」

ふみさと「じゃあ、ボクが『貢献』するためには・・・」
ふみさと「やりたくもない仕事を、『心からやりたい』って思わないといけないの?」

キリギリス先生「それでもいいけど・・・難しいんじゃないかな?」
キリギリス先生「『貢献』したいなら、自分がやりたいと思えることをすればいいんじゃいかな?」

ふみさと「自分がやりたいことをやるって、『貢献』じゃなくて『自己中心的』なんじゃないの?」

キリギリス先生「他人が迷惑しているなら自己中心的だけど、」
キリギリス先生「迷惑がかからなければ、自己中心的とは言わないよ」

キリギリス先生「自分がやりたいことをして、それで他の人が喜んでくれれば、」
キリギリス先生「それは『貢献』って呼べるよね」

ふみさと「でも・・・会社の仕事はやりたくないし、上司の顔なんか見たくないけど」
ふみさと「だからといって、ボクが会社を辞めたら、少なからず迷惑はかかるよね?」

ふみさと「『ボクが会社を辞める』のは、『貢献』じゃないから・・・」

ふみさと「『自己中心的』に仕事をやめるよりも、」
ふみさと「『自己犠牲』でクビになるまで会社員を続けたほうががいいんだね?」

ふみさと「会社の仕事を続けているうちに、だんだんと会社の考え方に染まって、」
ふみさと「いつか『心から会社の仕事をしたくなる』時がくるかもしれないし」

キリギリス先生「どうしてだい?」

ふみさと「『貢献』も『自己犠牲』も、『他人のために』行動しているから、」
ふみさと「『自己犠牲』のほうが、『自己中心的』よりも『いい行動』なんじゃないの?」

キリギリス先生「『自己犠牲』も『自己中心的』も、ほとんど違いはないよ?」

ふみさと「どうして?」
ふみさと「自分が犠牲になるかならないか違いはあるけど、」
ふみさと「他の人の利益になっているほうがいいんじゃないの?」


キリギリス先生「人がとっている行動に、自分や他人という区別はあまり関係ないんだ」

キリギリス先生「他人の利益のために、それ以上の損害を自分がこうむる『自己犠牲』も、」
キリギリス先生「自分の利益のために、それ以上の損害を他人に与える『自己中心的』も、」

キリギリス先生自分と他人という区別をなくしたらどちらも同じになるよね?」

ふみさと「小さい利益のために大きな損害を出す・・・」
ふみさと「どっちも損害になるってこと?」

ふみさと「でも・・・自分と他人の区別が関係ないってどういうことなの?」
ふみさと「自分と他人は違うんじゃないの?」

キリギリス先生「ふみさと君は『因果』っていう言葉を知っているかな?」

ふみさと「因果?・・・原因と結果のこと?それが何か関係あるの?」









ボクたちが他人のために行動するとき・・・
それって「貢献」でしょうか?それとも「自己犠牲」でしょうか?



そもそもの話、
「貢献」と「自己犠牲」の違いってなんでしょうね?


どちらも他人のために行動しているのは変わらないので・・・
違うとしたら、「自分」のほうですね


自分が損害をこうむったり、何か嫌なことをガマンしたり・・・
何かしらの犠牲になったら「自己犠牲」で、

自分がやりたくてやっただけ・・・
何も犠牲になっていなければ「貢献」ですね?




「7つの習慣」で言えば(第4の習慣)、

自分と相手が「Win−Win」の関係になっていたら、
それは自分が相手に『貢献した』ことになって、

自分が負ける(Lose)ことで、相手の勝ち(Win)ために行動したのなら
それは自分が「自己犠牲」を行ったことになりますね



「他人のために行動している」



日本語で書くと「いいことをしている」という印象を持ちますが・・・




「7つの習慣」では、
「自己犠牲(Lose−Win)」も「自己中心的(Win−Lose)」も

長い目で見れば、最終的には「Lose−Lose」の関係・・・
要するに自分も相手も犠牲になる


もちろん「長い目で見れば〜」の話なので、
「その場をしのぐ」貯めには、それぞれその場その場で適切な「自分と相手の関係」異なりますが・・・



「自己犠牲」で「他人のために」行動していても、
「その場」では、他人の利益になっていても、

「長い目で見た」時には、その行動は、「自己中心的」な行動と大差なく、
自分と他人にとって不利益になる


簡単に書けば、
「自己犠牲」も「自己中心的」も大差ないんですね



「貢献」と「自己犠牲」
どちらも「他人のための行動」なので、いまいち違いがわからない人でも、


「貢献」と「自己中心的」が違うというのは分かると思います
「他人のために」と「自分のために」の違いなので・・・



「自己犠牲」と「自己中心的」が大差ないのだとすれば・・・

「貢献」と「自己犠牲」を比べたときの違いは、
「貢献」と「自己中心的」を比べたときと同じくらい違うんですね



人によって
「自己犠牲」に対してプラスのイメージをもつ人もいれば
「自己犠牲」に対してマイナスのイメージをもつ人もいますが・・・


「貢献」に対してマイナスのイメージを持つ人は少ないですよね?

もちろん、「貢献」を「自己犠牲」と混同している場合は、
「自己犠牲」と同様のマイナスのイメージを持ってしまいますが・・・






ボク達が「他人のために」行動しているとき、
普段は、その行動が「貢献」なのか「自己犠牲」なのかなんて

行動に対して1つ1つ考えたりはしませんが・・・


もしも、
「自己犠牲」なのか「貢献」なのかを判断しようと思ったら、見分けることができるでしょうか?



例えば・・・
ボクがサラリーマンだったとき、

「会社の飲み会」は「いきたくない」ものでした、

「会費が取られる」し「長時間拘束される」し、
「お金(飲み会の会費)」と「時間(飲み会で拘束される)」の無駄でしかない

それだけだったら「飲み会に参加する」ことは「自己犠牲」でしかないですよね?



でも・・・
「飲み会に参加したことで会社の人たちとの人間関係がよくなる」
「今後仕事をしていくときにも、人間関係がいいほうが仕事が楽になる」みたいな・・・

「自分のためになるメリット」もあるので、
自分のためにもなり、相手のためにもなる「貢献」なのかも知れない・・・



ボクにとって「会社の飲み会に参加すること」は、「貢献」と「自己犠牲」・・・
どっちなんでしょうね?

どうやって見分けたらいいでしょうか?



「貢献」と「自己犠牲」の違いを見えにくくしている存在



「自分」と「他人」という区別があると
「貢献」と「自己犠牲」の違いが見えにくくなります


裏を返せば

自分と他人の区別をなくすと
「貢献」と「自己犠牲」がまったくの別物に見えるようになります




お母さんに「おつかい」を頼まれる
子供のときに経験したことがあるでしょうか?

ボクはあります・・・



子供のころのボクはお母さんにおつかいを頼まれると、
いい子だった喜んでお母さんのお手伝いを・・・



するわけがなくて、お手伝いは面倒くさいんですね(笑)

「いい子」だったんじゃなくて、
「いい子を演じている」だけなので、



内心では「自分で行けよ!」って思いながら
「あたかも喜んで引き受けている」みたいに振舞っていただけです



もちろん「いい子を演じる」ことで自分にメリットがあるからこそ、
親の前ではいい子にしているので、

親のお手伝いをするのは、
「親のため」でもありますが「自分のため」でもあります




「自己犠牲」か「貢献」か


お母さんに頼まれた「おつかい」を引き受けるだけのことが
「自己犠牲」になるの場合と、「貢献」になる場合があります


時と場合によって違うなんて・・・
そんなのどうやって判断したらいいんだ






自分と他人の区別をなくすと判断することができます




子供が特にやることもなくてヒマなとき、
家事で忙しいお母さんが「おつかい」を頼んだとします


もしも子供がおつかいに行けば、

いそがしいお母さんはうれしいですよね?
うれしい度が「+10」くらいだとします

子供はうれしくないですね?ヒマだったとはいえ、お手伝いはそこそこ面倒くさいです
うれしい度が「−1」くらいだとします


自分と他人の区別をなくす
この場合は、子供とお母さんの区別をなくします

別に難しいことはなくて、
2人のうれしい度を合計するだけです

「+10」と「−1」なので、「+9」ですね?
うれしい度の合計がプラスになるので、「子供がおつかいに行く」ことは「貢献」です




もしも子供がおつかいに行かなかったら?

いそがしいお母さんはうれしくないですね?家事を中断して買い物に行かないといけません
うれしい度が「−5」くらいだとします

ヒマだった子供は普通ですね?もしかしたら、面倒なおつかいを断れてラッキーって思うかもしれません
うれしい度が「+1」くらいだと



うれしい度の合計は「−4」、
子供は「その場」では面倒なお使いをしないでラッキーかもしれませんが・・・

長い目で見ると
お母さんに「いい子を演じる」ことで得られたはずの後々の利益を逃すことになります





同じ「お母さんに頼まれたおつかいを引き受ける」でも、
時と場合によって「貢献」か「自己犠牲」かは変わります



子供が大好きなテレビ番組を見ているときに、
ゆっくりとお茶しているお母さんがお菓子を食べたくなって子供におつかいを頼む


もしも子供がおつかいに行けば

お母さんはうれしいですよね?自分はゆっくりできて、お菓子も食べられる
うれしい度は「+10」くらい


子供はうれしくないですよね、面倒なだけでなく
大好きなテレビ番組を見ることができないし、
今見逃してしまったら録画もしていない、動画サイトでも見れないので、もう見ることはできません

うれしい度は「−50」くらい

うれしい度の合計が「−40」
マイナスなので子供にとっては「自己犠牲」です
大好きなテレビ番組を、お母さんのせいで見逃してしまったので、
子供のお母さんに対する印象は悪くなります

子供が大人になったとき(いい子を演じる必要がなくなったとき)に、
お母さんが子供にお手伝いを頼もうとすると・・・

お母さんにあまりいい印象を持っていない子供は、
お手伝いの対価としてお母さんにお金を要求するようになったりします
(↑ボクのことではないですよ・・・?)


もしも子供がおつかいに行かなければ

お母さんはうれしくないですが・・・
どうしてもお菓子を食べたければ自分で買いに行くこともできますし、
ゆっくりしたければ、テレビ番組が終わるまで待つなり、お菓子をガマンするなりできます

うれしい度は「−5」くらい

子供はうれしいですよね?
自分の大好きなテレビ番組を見ることができます

うれしい度は「+50」くらい


うれしい度を合計すると「+45」
プラスなので子供がお母さんのお使いを断るのは「自己中心的」なワガママではないです
むしろ、大好きなテレビを見ることができたことで、
その後のお母さんに対する態度がかなりよくなって、
後々お母さんに対して大きな「貢献」をすることになります



さっきボクがサラリーマンのとき〜の例で出した「会社の飲み会」も、
うれしい度の合計値で考えれば「貢献」か「自己犠牲」か分かりますね


ボクが「飲み会」に参加することで、
会社のいろいろな人が得られるプラスの「うれしい度」
ボク自信が会社の人との良い関係を気付けるというプラスの「うれしい度」

そして、
それらのプラスを簡単に上回ってしまうほどの
「時間と金の無駄」というマイナスの「うれしい度」


合計したらマイナスなので、
ボクにとっては会社の飲み会に参加することは「自己犠牲」です





自分と他人という区別をなくす
と聞いて、こんなことを思うひともいるかもしれません


自分の目の前に、
自分はうれしくないけど、それ以上に他人がうれしいと感じる行動ばかりがあったら
「自分がうれしくない行動」ばかりをとり続けなければいけないのか?

確かにうれしい度の合計値はプラスだけど
それは「貢献」ではなく「自己犠牲」ではないのか?





自分が他人がうれしくないと思う以上にうれしいと感じることさえできれば、
「自分がうれしい行動」ばかりをとり続けてのいいだろうか?

確かにうれしい度の合計値はプラスだけど
それは「貢献」ではなく「自己中心的」ではないのか?


 ・・・


 ・・・


 ・・・




まぁ、ボク達がこれまで生きてきた経験から

自分はうれしくないけど、それ以上に他人がうれしいと感じる行動ばかり・・・とか、
他人がうれしくないと思っても、自分がそれ以上にうれしいと感じる行動ばかり・・・とか、


そんな、どっちかに偏ったことは起こらないというのは
なんとなくわかっていると思います



「因果(いんが)」って言う言葉を聴いたことがありますかね?
原因と結果がつながっていることを表した言葉です


風邪気味のときに
無理して会社に行って仕事をすれば、体調は悪化するし、
会社を休んで安静にしていれば、体調は回復するし、


良い原因には良い結果がもたらされる
悪い原因には悪い結果がもたらされる


普通に生活していれば目の当たりにするようなありきたりなことで
特別なことではないですよね?


「情けは人のためならず」
なんてことわざにもあるように、

普段から周りの人に親切にしていれば(原因)、自分が困ったときに助けてもらえる(結果)し、
普段から周りの人を困らせてばかりいると(原因)、自分が困ったときに助けてもらえない(結果)

だから、他人に情けをかける(他人に親切にする)のは、他人のためではなく、
自分のためにやっている

そういうことわざです




「良い原因には良い結果がもたらされる」ことを「ダルマ」
「悪い原因には悪い結果がもたらされる」ことを「カルマ」
みたいに、「いい因果」と「わるい因果」を区別して言うこともありますね


「ダルマ」とか「カルマ」とかの言葉だけなら聴いたことがあるかもしれません

選挙のときに片方だけに目を書き入れて、当選したらもう片方にも目を書き入れる置物とか、
「テイルズオブジアビス」のオープニング曲とか






「貢献」では自分と相手の「うれしい度の合計」はプラスになります

うれしい度の合計値がプラスにするのは「ダルマ(いい因果)」のほうですね
「その場」で恩恵を受け取るのが自分だろうと、相手だろうと、
「長い目で見る」と、将来、自分にも相手にも「うれしい度がプラスになる」ことがおきます


「いい原因」には「いい結果」が訪れるので、
では自分がうれしくなくても、相手がそれ以上にうれしければ、
後々になって自分が相手に与えた「うれしい」が自分の元にも戻ってくることになります

相手から直接戻ってくることもあれば
相手に与えた「うれしい」が回りまわって思いもよらないところから戻ってくることもあります

すぐに戻ってくることもあれば
時間を置いて戻ってくることもあります


どうせいつかは自分に帰ってくるのなら
「自分」と「他人」を区別する必要はないですよね?
情けは人のためならず・・・他人を助けるのは結局は「自分のため」なんですから




「自己犠牲」「自己中心的」では、自分と相手の「うれしい度の合計」はマイナスになります

うれしい度の合計をマイナスするのは「カルマ(わるい因果)」のほうですね

自己犠牲で、「その場」では相手のためになっても、
「長い目で見る」と、将来、自分にも相手にも「うれしい度がマイナスになる」ことがおきます

自己中心的で、「その場」では自分が良くても
「長い目で見る」と、将来、自分にも相手にも「うれしい度がマイナスになる」ことがおきます


自分さえ良ければ!と「他人を犠牲にする」こと(原因)で
後々「自分が犠牲になる」ようなことがおきてしまう(結果)のは分かりますが・・・


他人のために「自分を犠牲」にしてまで行動した(原因)のに、
自分にも相手にも「犠牲になる」ようなことがおきてしまう(結果)ので・・・

たとえ「他人のために行動した」としても
「自己犠牲」は「貢献」とまったく違うものだというのは分かりますよね?


あと、「うれしい度の合計値がマイナスになる」「カルマ(悪い因果)」という意味では

他人のために自分を犠牲にする「自己犠牲」と、
自分のために他人を犠牲にする「自己中心的」とは、大差ないことが分かりますよね?

その場で犠牲になるのが自分だろうと他人だろうと、
犠牲という「わるい原因」は「わるい結果」が訪れるので


長い目で見れば
「相手の利益」のためにそれ以上の「自己犠牲」を行うことは、「自己中心的」なのと大差ないです

自分と他人の区別がなければ、
どちらも「小さなプラス」のために「大きなマイナス」を生み出しているに過ぎないですからね




キリスト教の聖書の中にある言葉
「自分を愛するように他人を愛しなさい」

自分を犠牲にしてでも他人を愛しなさい、でもなければ
自分を愛するために必要なら他人を犠牲にしなさい、でもないですね


「自分が他人であるかのように、他人が自分であるかのように、自分と他人を愛しなさい」
「自分」と「他人」という区別をしないで「愛する」ってことですよね?



自分のためのにとる行動と、他人のためにとる行動が
それぞれ逆の行動だった場合、

他人のために行動するとき、他人が受けとる愛(うれしい度)と、
自分のために行動するとき、自分が受け取る愛(うれしい度)と、

それらを比較してより、愛(うれしい度)が大きいほうの行動を選択しなさいって意味ですよね?



自分が他人からもらった愛(うれしい)はいつか他人にかえっていくし
自分が他人に与えた愛(うれしい)はいつか自分に帰ってくるので、
自分や他人という区別をすることにあんまり意味はなくて、
より大きいほうの愛(うれしい)を選択することのほうが重要ですよね?




もしもあなたが他人のために行動しているとき

その行動は「貢献」でしょうか?
それとも「自己犠牲」なんですかね?


自分と他人の「うれしい度の合計値」はプラス?
それともマイナス?


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この記事へのコメント
こんにちは、トシカズです。
ちょっと難しかったけど、短く言うと、人の為は自分の為ということでしょうか。
損得を考えるより、まずは自分の為の行動ですかね。応援していきますね。
Posted by トシカズ at 2016年10月17日 09:21
>トシカズ さん

いつもコメント&応援ありがとうございます

わかりにくい記事かもしれないですね

自分がどんな行動をとるか迷うときって、

・自分がガマンして他人のために行動
・他人をガマンさせて自分のために行動

みたいな分け方ができますよね?


たとえば・・・

自分は定時で帰りたいけど
会社のためには残業したほうがいいんだろうな〜みたいな時に

「会社に残る」か「帰る」かみたいな・・・

そんなときに


自分がちょっとガマンするだけで
他人がめちゃくちゃ喜んでくれるなら、
他人のために行動すればいいし、

他人をちょっとガマンさせれば
自分がめちゃくちゃうれしいなら、
自分のために行動すればいい


ってことですね


Posted by ふみさと@管理人 at 2016年10月17日 20:48
こんばんわ、たるぼと申します。

両方WINな形に持っていくのが
難しいときってありますよね〜

こういう時は自分はなるべく我慢してます〜

Posted by たるぼ at 2016年10月18日 22:36
ふみさとさん、こんにちは。
Win-Winの関係を構築していくことが大切ですよね。
長い目で見ればその方がいいのは明らかですから。
ありがとうございました。
それでは応援して帰ります。
Posted by 蒼士 at 2016年10月19日 06:12
>たるぼ さん

「両方WINな形」はなかなか難しいですよね
「Win-Win」と同じかそれ以上に大切なのが、

両方がWinになれないときは「No Deal(勝負しない、かかわらない)」なので、

「自分が勝つことしか見えていない人」に、
それ以上かかわらないためにその場では相手に従うフリをして、さっさと逃げてしまうために

表面上だけ「ガマンする」のもありですね(^^)


Posted by ふみさと@管理人 at 2016年10月19日 12:31
>蒼士 さん

長く付き合う人とは「Win−Win」の関係が望ましいですよね


特に難しいことをしなくても

自分の「小さいLose」が、相手の「大きなWin」につながる時は相手に勝ちをゆずって

相手の「小さいLose」で、自分が「大きなWin」を得られるときには勝ちに行く

というのを続けていれば、

自然と「Win−Win」になれない相手とは関係が続かなくなるので、
相手のほうから離れていってくれるようになりますけどね(^^)

Posted by ふみさと@管理人 at 2016年10月19日 12:44
貢献と自己犠牲・・・・。考えさせられるテーマですね。
自分の中で他人に対する認識の違いと思っていました。結果的に自分に返ってくる見返りを思ったときにそれがいい結果であれば貢献。悪い結果であれば自己犠牲。
いつも結果ばかり見ていたので大変面白く読ませていただきました。

面白い記事ありがとうございました。
Posted by さわしん at 2016年10月21日 21:43
>さわしん さん

コメントありがとうございます

その人のために行動することが、
「うれしいと思える相手」と「うれしくないと思う相手」がいるので、

「他人に対する認識の違い」でも、貢献か自己犠牲かは変わりますね



「見返り」という点で見れば、

「うれしい度」が
相手のプラスよりも自分のマイナスのほうが大きければ、

たとえ、あとで相手が受け取ったぶんの「うれしい度」を返してくれたとしても・・・

マイナスが大きいせいで
「足りない」って思ってしまいますね(^^;)

行動えお、あとから振り返る(結果を見る)と、「貢献」だけじゃなくて「自己犠牲」もしてしまいますね(^^;)



「うれしい度」は、
行動する前に「貢献」か「自己犠牲」かを判断するやり方です

Posted by ふみさと@管理人 at 2016年10月22日 15:52

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