他人のための行動は貢献?自己犠牲? - アフィリエイトで脱サラ (ニートが月15万円稼ぐブログ)

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他人のための行動は貢献?自己犠牲?

先生


ふみさと「先生、『他人のために行動する』って、貢献なの?自己犠牲なの?」

キリギリス先生「他人や相手のために自分がガマンして行動しているなら自己犠牲で」
キリギリス先生「自分が相手を助けたいと思って行動しているなら貢献だよ」

ふみさと「じゃあ、お金をもらうために仕方なく、本当はやりたくない仕事を引き受けたり、」
ふみさと「顔も見たくない上司がいる会社に仕事をしに行くのは・・・」
ふみさと「ガマンしてやっているから『貢献』じゃなくて『自己犠牲』なんだね?」

キリギリス先生「そうだね」

ふみさと「じゃあ、ボクが『貢献』するためには・・・」
ふみさと「やりたくもない仕事を、『心からやりたい』って思わないといけないの?」

キリギリス先生「それでもいいけど・・・難しいんじゃないかな?」
キリギリス先生「『貢献』したいなら、自分がやりたいと思えることをすればいいんじゃいかな?」

ふみさと「自分がやりたいことをやるって、『貢献』じゃなくて『自己中心的』なんじゃないの?」

キリギリス先生「他人が迷惑しているなら自己中心的だけど、」
キリギリス先生「迷惑がかからなければ、自己中心的とは言わないよ」

キリギリス先生「自分がやりたいことをして、それで他の人が喜んでくれれば、」
キリギリス先生「それは『貢献』って呼べるよね」

ふみさと「でも・・・会社の仕事はやりたくないし、上司の顔なんか見たくないけど」
ふみさと「だからといって、ボクが会社を辞めたら、少なからず迷惑はかかるよね?」

ふみさと「『ボクが会社を辞める』のは、『貢献』じゃないから・・・」

ふみさと「『自己中心的』に仕事をやめるよりも、」
ふみさと「『自己犠牲』でクビになるまで会社員を続けたほうががいいんだね?」

ふみさと「会社の仕事を続けているうちに、だんだんと会社の考え方に染まって、」
ふみさと「いつか『心から会社の仕事をしたくなる』時がくるかもしれないし」

キリギリス先生「どうしてだい?」

ふみさと「『貢献』も『自己犠牲』も、『他人のために』行動しているから、」
ふみさと「『自己犠牲』のほうが、『自己中心的』よりも『いい行動』なんじゃないの?」

キリギリス先生「『自己犠牲』も『自己中心的』も、ほとんど違いはないよ?」

ふみさと「どうして?」
ふみさと「自分が犠牲になるかならないか違いはあるけど、」
ふみさと「他の人の利益になっているほうがいいんじゃないの?」


キリギリス先生「人がとっている行動に、自分や他人という区別はあまり関係ないんだ」

キリギリス先生「他人の利益のために、それ以上の損害を自分がこうむる『自己犠牲』も、」
キリギリス先生「自分の利益のために、それ以上の損害を他人に与える『自己中心的』も、」

キリギリス先生自分と他人という区別をなくしたらどちらも同じになるよね?」

ふみさと「小さい利益のために大きな損害を出す・・・」
ふみさと「どっちも損害になるってこと?」

ふみさと「でも・・・自分と他人の区別が関係ないってどういうことなの?」
ふみさと「自分と他人は違うんじゃないの?」

キリギリス先生「ふみさと君は『因果』っていう言葉を知っているかな?」

ふみさと「因果?・・・原因と結果のこと?それが何か関係あるの?」









ボクたちが他人のために行動するとき・・・
それって「貢献」でしょうか?それとも「自己犠牲」でしょうか?



そもそもの話、
「貢献」と「自己犠牲」の違いってなんでしょうね?


どちらも他人のために行動しているのは変わらないので・・・
違うとしたら、「自分」のほうですね


自分が損害をこうむったり、何か嫌なことをガマンしたり・・・
何かしらの犠牲になったら「自己犠牲」で、

自分がやりたくてやっただけ・・・
何も犠牲になっていなければ「貢献」ですね?




「7つの習慣」で言えば(第4の習慣)、

自分と相手が「Win−Win」の関係になっていたら、
それは自分が相手に『貢献した』ことになって、

自分が負ける(Lose)ことで、相手の勝ち(Win)ために行動したのなら
それは自分が「自己犠牲」を行ったことになりますね



「他人のために行動している」



日本語で書くと「いいことをしている」という印象を持ちますが・・・




「7つの習慣」では、
「自己犠牲(Lose−Win)」も「自己中心的(Win−Lose)」も

長い目で見れば、最終的には「Lose−Lose」の関係・・・
要するに自分も相手も犠牲になる


もちろん「長い目で見れば〜」の話なので、
「その場をしのぐ」貯めには、それぞれその場その場で適切な「自分と相手の関係」異なりますが・・・



「自己犠牲」で「他人のために」行動していても、
「その場」では、他人の利益になっていても、

「長い目で見た」時には、その行動は、「自己中心的」な行動と大差なく、
自分と他人にとって不利益になる


簡単に書けば、
「自己犠牲」も「自己中心的」も大差ないんですね



「貢献」と「自己犠牲」
どちらも「他人のための行動」なので、いまいち違いがわからない人でも、


「貢献」と「自己中心的」が違うというのは分かると思います
「他人のために」と「自分のために」の違いなので・・・



「自己犠牲」と「自己中心的」が大差ないのだとすれば・・・

「貢献」と「自己犠牲」を比べたときの違いは、
「貢献」と「自己中心的」を比べたときと同じくらい違うんですね



人によって
「自己犠牲」に対してプラスのイメージをもつ人もいれば
「自己犠牲」に対してマイナスのイメージをもつ人もいますが・・・


「貢献」に対してマイナスのイメージを持つ人は少ないですよね?

もちろん、「貢献」を「自己犠牲」と混同している場合は、
「自己犠牲」と同様のマイナスのイメージを持ってしまいますが・・・






ボク達が「他人のために」行動しているとき、
普段は、その行動が「貢献」なのか「自己犠牲」なのかなんて

行動に対して1つ1つ考えたりはしませんが・・・


もしも、
「自己犠牲」なのか「貢献」なのかを判断しようと思ったら、見分けることができるでしょうか?



例えば・・・
ボクがサラリーマンだったとき、

「会社の飲み会」は「いきたくない」ものでした、

「会費が取られる」し「長時間拘束される」し、
「お金(飲み会の会費)」と「時間(飲み会で拘束される)」の無駄でしかない

それだけだったら「飲み会に参加する」ことは「自己犠牲」でしかないですよね?



でも・・・
「飲み会に参加したことで会社の人たちとの人間関係がよくなる」
「今後仕事をしていくときにも、人間関係がいいほうが仕事が楽になる」みたいな・・・

「自分のためになるメリット」もあるので、
自分のためにもなり、相手のためにもなる「貢献」なのかも知れない・・・



ボクにとって「会社の飲み会に参加すること」は、「貢献」と「自己犠牲」・・・
どっちなんでしょうね?

どうやって見分けたらいいでしょうか?



「貢献」と「自己犠牲」の違いを見えにくくしている存在



「自分」と「他人」という区別があると
「貢献」と「自己犠牲」の違いが見えにくくなります


裏を返せば

自分と他人の区別をなくすと
「貢献」と「自己犠牲」がまったくの別物に見えるようになります




お母さんに「おつかい」を頼まれる
子供のときに経験したことがあるでしょうか?

ボクはあります・・・



子供のころのボクはお母さんにおつかいを頼まれると、
いい子だった喜んでお母さんのお手伝いを・・・



するわけがなくて、お手伝いは面倒くさいんですね(笑)

「いい子」だったんじゃなくて、
「いい子を演じている」だけなので、



内心では「自分で行けよ!」って思いながら
「あたかも喜んで引き受けている」みたいに振舞っていただけです



もちろん「いい子を演じる」ことで自分にメリットがあるからこそ、
親の前ではいい子にしているので、

親のお手伝いをするのは、
「親のため」でもありますが「自分のため」でもあります




「自己犠牲」か「貢献」か


お母さんに頼まれた「おつかい」を引き受けるだけのことが
「自己犠牲」になるの場合と、「貢献」になる場合があります


時と場合によって違うなんて・・・
そんなのどうやって判断したらいいんだ






自分と他人の区別をなくすと判断することができます




子供が特にやることもなくてヒマなとき、
家事で忙しいお母さんが「おつかい」を頼んだとします


もしも子供がおつかいに行けば、

いそがしいお母さんはうれしいですよね?
うれしい度が「+10」くらいだとします

子供はうれしくないですね?ヒマだったとはいえ、お手伝いはそこそこ面倒くさいです
うれしい度が「−1」くらいだとします


自分と他人の区別をなくす
この場合は、子供とお母さんの区別をなくします

別に難しいことはなくて、
2人のうれしい度を合計するだけです

「+10」と「−1」なので、「+9」ですね?
うれしい度の合計がプラスになるので、「子供がおつかいに行く」ことは「貢献」です




もしも子供がおつかいに行かなかったら?

いそがしいお母さんはうれしくないですね?家事を中断して買い物に行かないといけません
うれしい度が「−5」くらいだとします

ヒマだった子供は普通ですね?もしかしたら、面倒なおつかいを断れてラッキーって思うかもしれません
うれしい度が「+1」くらいだと



うれしい度の合計は「−4」、
子供は「その場」では面倒なお使いをしないでラッキーかもしれませんが・・・

長い目で見ると
お母さんに「いい子を演じる」ことで得られたはずの後々の利益を逃すことになります





同じ「お母さんに頼まれたおつかいを引き受ける」でも、
時と場合によって「貢献」か「自己犠牲」かは変わります



子供が大好きなテレビ番組を見ているときに、
ゆっくりとお茶しているお母さんがお菓子を食べたくなって子供におつかいを頼む


もしも子供がおつかいに行けば

お母さんはうれしいですよね?自分はゆっくりできて、お菓子も食べられる
うれしい度は「+10」くらい


子供はうれしくないですよね、面倒なだけでなく
大好きなテレビ番組を見ることができないし、
今見逃してしまったら録画もしていない、動画サイトでも見れないので、もう見ることはできません

うれしい度は「−50」くらい

うれしい度の合計が「−40」
マイナスなので子供にとっては「自己犠牲」です
大好きなテレビ番組を、お母さんのせいで見逃してしまったので、
子供のお母さんに対する印象は悪くなります

子供が大人になったとき(いい子を演じる必要がなくなったとき)に、
お母さんが子供にお手伝いを頼もうとすると・・・

お母さんにあまりいい印象を持っていない子供は、
お手伝いの対価としてお母さんにお金を要求するようになったりします
(↑ボクのことではないですよ・・・?)


もしも子供がおつかいに行かなければ

お母さんはうれしくないですが・・・
どうしてもお菓子を食べたければ自分で買いに行くこともできますし、
ゆっくりしたければ、テレビ番組が終わるまで待つなり、お菓子をガマンするなりできます

うれしい度は「−5」くらい

子供はうれしいですよね?
自分の大好きなテレビ番組を見ることができます

うれしい度は「+50」くらい


うれしい度を合計すると「+45」
プラスなので子供がお母さんのお使いを断るのは「自己中心的」なワガママではないです
むしろ、大好きなテレビを見ることができたことで、
その後のお母さんに対する態度がかなりよくなって、
後々お母さんに対して大きな「貢献」をすることになります



さっきボクがサラリーマンのとき〜の例で出した「会社の飲み会」も、
うれしい度の合計値で考えれば「貢献」か「自己犠牲」か分かりますね


ボクが「飲み会」に参加することで、
会社のいろいろな人が得られるプラスの「うれしい度」
ボク自信が会社の人との良い関係を気付けるというプラスの「うれしい度」

そして、
それらのプラスを簡単に上回ってしまうほどの
「時間と金の無駄」というマイナスの「うれしい度」


合計したらマイナスなので、
ボクにとっては会社の飲み会に参加することは「自己犠牲」です





自分と他人という区別をなくす
と聞いて、こんなことを思うひともいるかもしれません


自分の目の前に、
自分はうれしくないけど、それ以上に他人がうれしいと感じる行動ばかりがあったら
「自分がうれしくない行動」ばかりをとり続けなければいけないのか?

確かにうれしい度の合計値はプラスだけど
それは「貢献」ではなく「自己犠牲」ではないのか?





自分が他人がうれしくないと思う以上にうれしいと感じることさえできれば、
「自分がうれしい行動」ばかりをとり続けてのいいだろうか?

確かにうれしい度の合計値はプラスだけど
それは「貢献」ではなく「自己中心的」ではないのか?


 ・・・


 ・・・


 ・・・




まぁ、ボク達がこれまで生きてきた経験から

自分はうれしくないけど、それ以上に他人がうれしいと感じる行動ばかり・・・とか、
他人がうれしくないと思っても、自分がそれ以上にうれしいと感じる行動ばかり・・・とか、


そんな、どっちかに偏ったことは起こらないというのは
なんとなくわかっていると思います



「因果(いんが)」って言う言葉を聴いたことがありますかね?
原因と結果がつながっていることを表した言葉です


風邪気味のときに
無理して会社に行って仕事をすれば、体調は悪化するし、
会社を休んで安静にしていれば、体調は回復するし、


良い原因には良い結果がもたらされる
悪い原因には悪い結果がもたらされる


普通に生活していれば目の当たりにするようなありきたりなことで
特別なことではないですよね?


「情けは人のためならず」
なんてことわざにもあるように、

普段から周りの人に親切にしていれば(原因)、自分が困ったときに助けてもらえる(結果)し、
普段から周りの人を困らせてばかりいると(原因)、自分が困ったときに助けてもらえない(結果)

だから、他人に情けをかける(他人に親切にする)のは、他人のためではなく、
自分のためにやっている

そういうことわざです




「良い原因には良い結果がもたらされる」ことを「ダルマ」
「悪い原因には悪い結果がもたらされる」ことを「カルマ」
みたいに、「いい因果」と「わるい因果」を区別して言うこともありますね


「ダルマ」とか「カルマ」とかの言葉だけなら聴いたことがあるかもしれません

選挙のときに片方だけに目を書き入れて、当選したらもう片方にも目を書き入れる置物とか、
「テイルズオブジアビス」のオープニング曲とか






「貢献」では自分と相手の「うれしい度の合計」はプラスになります

うれしい度の合計値がプラスにするのは「ダルマ(いい因果)」のほうですね
「その場」で恩恵を受け取るのが自分だろうと、相手だろうと、
「長い目で見る」と、将来、自分にも相手にも「うれしい度がプラスになる」ことがおきます


「いい原因」には「いい結果」が訪れるので、
では自分がうれしくなくても、相手がそれ以上にうれしければ、
後々になって自分が相手に与えた「うれしい」が自分の元にも戻ってくることになります

相手から直接戻ってくることもあれば
相手に与えた「うれしい」が回りまわって思いもよらないところから戻ってくることもあります

すぐに戻ってくることもあれば
時間を置いて戻ってくることもあります


どうせいつかは自分に帰ってくるのなら
「自分」と「他人」を区別する必要はないですよね?
情けは人のためならず・・・他人を助けるのは結局は「自分のため」なんですから




「自己犠牲」「自己中心的」では、自分と相手の「うれしい度の合計」はマイナスになります

うれしい度の合計をマイナスするのは「カルマ(わるい因果)」のほうですね

自己犠牲で、「その場」では相手のためになっても、
「長い目で見る」と、将来、自分にも相手にも「うれしい度がマイナスになる」ことがおきます

自己中心的で、「その場」では自分が良くても
「長い目で見る」と、将来、自分にも相手にも「うれしい度がマイナスになる」ことがおきます


自分さえ良ければ!と「他人を犠牲にする」こと(原因)で
後々「自分が犠牲になる」ようなことがおきてしまう(結果)のは分かりますが・・・


他人のために「自分を犠牲」にしてまで行動した(原因)のに、
自分にも相手にも「犠牲になる」ようなことがおきてしまう(結果)ので・・・

たとえ「他人のために行動した」としても
「自己犠牲」は「貢献」とまったく違うものだというのは分かりますよね?


あと、「うれしい度の合計値がマイナスになる」「カルマ(悪い因果)」という意味では

他人のために自分を犠牲にする「自己犠牲」と、
自分のために他人を犠牲にする「自己中心的」とは、大差ないことが分かりますよね?

その場で犠牲になるのが自分だろうと他人だろうと、
犠牲という「わるい原因」は「わるい結果」が訪れるので


長い目で見れば
「相手の利益」のためにそれ以上の「自己犠牲」を行うことは、「自己中心的」なのと大差ないです

自分と他人の区別がなければ、
どちらも「小さなプラス」のために「大きなマイナス」を生み出しているに過ぎないですからね




キリスト教の聖書の中にある言葉
「自分を愛するように他人を愛しなさい」

自分を犠牲にしてでも他人を愛しなさい、でもなければ
自分を愛するために必要なら他人を犠牲にしなさい、でもないですね


「自分が他人であるかのように、他人が自分であるかのように、自分と他人を愛しなさい」
「自分」と「他人」という区別をしないで「愛する」ってことですよね?



自分のためのにとる行動と、他人のためにとる行動が
それぞれ逆の行動だった場合、

他人のために行動するとき、他人が受けとる愛(うれしい度)と、
自分のために行動するとき、自分が受け取る愛(うれしい度)と、

それらを比較してより、愛(うれしい度)が大きいほうの行動を選択しなさいって意味ですよね?



自分が他人からもらった愛(うれしい)はいつか他人にかえっていくし
自分が他人に与えた愛(うれしい)はいつか自分に帰ってくるので、
自分や他人という区別をすることにあんまり意味はなくて、
より大きいほうの愛(うれしい)を選択することのほうが重要ですよね?




もしもあなたが他人のために行動しているとき

その行動は「貢献」でしょうか?
それとも「自己犠牲」なんですかね?


自分と他人の「うれしい度の合計値」はプラス?
それともマイナス?


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この記事へのコメント
こんにちは、トシカズです。
ちょっと難しかったけど、短く言うと、人の為は自分の為ということでしょうか。
損得を考えるより、まずは自分の為の行動ですかね。応援していきますね。
Posted by トシカズ at 2016年10月17日 09:21
>トシカズ さん

いつもコメント&応援ありがとうございます

わかりにくい記事かもしれないですね

自分がどんな行動をとるか迷うときって、

・自分がガマンして他人のために行動
・他人をガマンさせて自分のために行動

みたいな分け方ができますよね?


たとえば・・・

自分は定時で帰りたいけど
会社のためには残業したほうがいいんだろうな〜みたいな時に

「会社に残る」か「帰る」かみたいな・・・

そんなときに


自分がちょっとガマンするだけで
他人がめちゃくちゃ喜んでくれるなら、
他人のために行動すればいいし、

他人をちょっとガマンさせれば
自分がめちゃくちゃうれしいなら、
自分のために行動すればいい


ってことですね


Posted by ふみさと@管理人 at 2016年10月17日 20:48
こんばんわ、たるぼと申します。

両方WINな形に持っていくのが
難しいときってありますよね〜

こういう時は自分はなるべく我慢してます〜

Posted by たるぼ at 2016年10月18日 22:36
ふみさとさん、こんにちは。
Win-Winの関係を構築していくことが大切ですよね。
長い目で見ればその方がいいのは明らかですから。
ありがとうございました。
それでは応援して帰ります。
Posted by 蒼士 at 2016年10月19日 06:12
>たるぼ さん

「両方WINな形」はなかなか難しいですよね
「Win-Win」と同じかそれ以上に大切なのが、

両方がWinになれないときは「No Deal(勝負しない、かかわらない)」なので、

「自分が勝つことしか見えていない人」に、
それ以上かかわらないためにその場では相手に従うフリをして、さっさと逃げてしまうために

表面上だけ「ガマンする」のもありですね(^^)


Posted by ふみさと@管理人 at 2016年10月19日 12:31
>蒼士 さん

長く付き合う人とは「Win−Win」の関係が望ましいですよね


特に難しいことをしなくても

自分の「小さいLose」が、相手の「大きなWin」につながる時は相手に勝ちをゆずって

相手の「小さいLose」で、自分が「大きなWin」を得られるときには勝ちに行く

というのを続けていれば、

自然と「Win−Win」になれない相手とは関係が続かなくなるので、
相手のほうから離れていってくれるようになりますけどね(^^)

Posted by ふみさと@管理人 at 2016年10月19日 12:44
貢献と自己犠牲・・・・。考えさせられるテーマですね。
自分の中で他人に対する認識の違いと思っていました。結果的に自分に返ってくる見返りを思ったときにそれがいい結果であれば貢献。悪い結果であれば自己犠牲。
いつも結果ばかり見ていたので大変面白く読ませていただきました。

面白い記事ありがとうございました。
Posted by さわしん at 2016年10月21日 21:43
>さわしん さん

コメントありがとうございます

その人のために行動することが、
「うれしいと思える相手」と「うれしくないと思う相手」がいるので、

「他人に対する認識の違い」でも、貢献か自己犠牲かは変わりますね



「見返り」という点で見れば、

「うれしい度」が
相手のプラスよりも自分のマイナスのほうが大きければ、

たとえ、あとで相手が受け取ったぶんの「うれしい度」を返してくれたとしても・・・

マイナスが大きいせいで
「足りない」って思ってしまいますね(^^;)

行動えお、あとから振り返る(結果を見る)と、「貢献」だけじゃなくて「自己犠牲」もしてしまいますね(^^;)



「うれしい度」は、
行動する前に「貢献」か「自己犠牲」かを判断するやり方です

Posted by ふみさと@管理人 at 2016年10月22日 15:52
心と行動の『循環』を分かり易く説明されてます。
 @自分と他者の区別を薄めてとらえる
 A長期視点でとらえる
自己犠牲=自己中心≠他者貢献

 @効用(メリットや喜び)の総量でとらえる
A 個人と集団の効用を最大化 
B 個人と集団のデメリットを最小化
 A・Bは表裏関係で同じにとらえがちですが

Aは 自由経済=資本主義の目指す考えで
Bは 法律が目指す考え 

 
Posted by かた麺 at 2017年10月26日 11:12
うまく説明できるか、分かりませんが
Bは みんなが 嫌がることは みんな 止めようね
 = 誰1人 損させない 

Aは みんなに 良いことは みんな しようよ
 = 誰か1人 得しても 良い
A・B 両面を考慮したいですね。
   ありがとうございました

 
Posted by かた麺 at 2017年10月26日 11:51
> かた麺 さん

コメントありがとうございます

『資本主義』は『強者の味方』、
『法律』は『弱者の味方』になりやすいですよね



>> A 個人と集団の効用を最大化 
>> Aは 自由経済=資本主義の目指す考えで

Aを突き詰めた例だと今のアメリカが近いですかね?

デメリットを無視して効用(メリット)だけを追い求めると、
すでにお金をもっている人(経済的な力をもっている人)をより強くしていくほうが効用(メリット)が生まれやすいので、

お金を通じて『強い人はより強く』『弱い人はより弱く』なって、
格差が広がり過ぎると破綻しますね





>>B 個人と集団のデメリットを最小化
>>Bは 法律が目指す考え

Bを突き詰めた例だとソビエト連邦が近いですかね?

少しでもリスク(デメリット)があれば、
たとえ大きな見返り(メリット)があっても『やらない』ので

みんなが、決められたこと以外は『何もやらなく』なっていきますね




個人と集団のデメリットを無視して、
少しでもメリットが得られるならそれを追い求めたり、

個人と集団のメリットの代償を考えずに、
とにかくデメリットを亡くすことだけを考え続けるよりも、


個人や集団の
「メリット(プラス)」と「デメリット(マイナス)」の総量が
プラスになるかどうかで考えたいですね

Posted by ふみさと@管理人 at 2017年10月26日 14:12
返信 あざます 
 解釈 その通りです 
情けは人の為ならず 心も経済も社会も グルっと循環で回ってるけど 自分に回ってくるかは絶対じゃないんですよ それでも ハッピーは増やしたいです

ふみさとさんの 自己犠牲と自己中心が ほぼイコールってのに関心して
 つい コメントしちゃいました

 
Posted by かた麺 at 2017年10月26日 17:13
> かた麺 さん

『誰かにかけた情け』が、
自分に回ってこなければ不満に思うなら、

それは『自己犠牲』しているサインなので、次からは
情けなんかかけずに、自分がしたいようにすれば良いし、
(自分のハッピーを増やす)


自分に回ってこなくても気にならなければ、『貢献』なので、
続けていけばいいですね
(相手のハッピーを増やす)

気にしていなかったけど、
かけた情けが不意に回って来たらうれしくなりますしね
(たまに自分のハッピーも増える)


自分が望んでいないのに情けをかけるのは、
相手のために自分を犠牲にしている『自己犠牲』
(相手のハッピー以上に自分がアンハッピー)

自分がかけた情けに見返りがないと不満に思うのは
「相手」からしたら頼んでもいないのに
勝手に情けをかけて勝手に見返りを要求する『自己中心』
(もし相手に指摘してしまえば、相手もアンハッピー)


>>ふみさとさんの 自己犠牲と自己中心が ほぼイコールってのに関心して
>> つい コメントしちゃいました


もともとの考え方は斉藤一人さんの本で読んだ

自分も相手もうれしいことをする(貢献)を『大我(たいが)』と言い、

自分さえ良ければ(自己中心)と、自分さえ我慢すれば(自己犠牲)
はどちらも『小我(しょうが)』という同じもの

というお話からの受け売りなんですけどね(^^;)

Posted by ふみさと@管理人 at 2017年10月27日 12:56
返信あざます
 
 良い考え方の受け売りは 良いが増えるので
ありがたし です。
 誤解を招くかもしれませんが

佐藤一人さんの本でも ふみさとさんの文章でも 極論 どなたが発信しても
 ありがたし です

 会社で情けは人の為ならずのような『循環と連鎖』のメリットとデメリットを考えていきませんか?と説明・提案すると、社長・役員には
 「役員のくせに、組合の回し者か!」となり
社員からは
「労働負荷を上げられて酷使される」となり
伝えていないパートさんからは
「専務がんばってくれてる」となります
僕的には 対立は知識でなくせるはずなのですが 7年かけても、なくなりません 
 より悪くも、良くもならないのが
とても不思議なのです

 ありがとうございました。
 



Posted by かた麺 at 2017年10月28日 12:01
> かた麺 さん

「正しい話」でも、「良い話」でも、
『他人から強制』されるとなかなか受け入れにくいので・・・

『循環と連鎖』のメリットとデメリットみたいな話を
ダイレクトに伝えて受け入れてもらうのは
難しいかもしれないですね(--;)

長い間「Win - Lose」の環境の中で生きてきた人ならなおのこと、
『相手に勝たせること』が必ずしも『自分が負けること』と
イコールではないというのは受け入れにくいかもしれないですね


かた麺さんの口から出た時点では
「Win - Winについて考えませんか?」という言葉が、

相手の耳に入った時点で、
「相手を勝たせるためにあなたが負けてください」と
「Win - Lose」に変換されて聞こえているのかもしれませんね(--;)


知識を直接言葉で与えるのではなく、当人が『自分で気付ける』ように、
その人の『実体験』を通して自分で気付いてもらえればいいのですが、

気付かせるために
意図的に『体験してもらう』のはいろいろとハードルが高いですしね




役に立つかはわかりませんが
『7つの習慣』という本の『主体性を発揮する』という習慣の話の中に
『関心の輪と影響の輪』という話があって、

・関心があるけれど、今の自分には影響を及ぼす力がない物事
・関心があって、自分の力で影響を与えられる物事
があるときは、

下のほう「自分の力で影響与えら得られる物事」に力を注ぐと、
そのうち「影響力」が大きくなって、

最初は7年かけても変えられなかったことが
「影響力」が大きくなったことで変えられるようになる

みたいな話です




社長・役員に提案をして、
いきなり『社長や役員を巻き込んで』変っていくことは難しいですが、

かた麺さんが個人レベルで、
『会社で情けは人の為ならず』を実践することは可能だと思うので、

最初は個人レベル『循環と連鎖』が、
かた麺さんの周りの人が『体験する』することで、
だんだんと大きな『循環と連鎖』に成長するのを気長に待つというのも
ひとつの手ですね


良くなっていないとはいえ、
7年間、『より悪くなっていない』なら、

『今すぐにどうにかしないといけない』わけではないと思うので、
気長に対処してみるのもいいかもしれません

Posted by ふみさと@管理人 at 2017年10月28日 14:55
まさに そこで つまずきます

気付いてもらう為に『意図的』に
体験(知ってもらう)は
「説明」や「学問」に含まれてしまうんです

相手が 望まない 事は 強要に感じる

学ばない と 問題は 解決しません

会社のみんなが 損失を受けてますよ
不正が起こりやすい仕組みになってますよ 社外の事は防げなくても
社内の事は 防ぐ可能性は高くありませんか?
不正を認める事になるので
聞きたくない 分かりたくない
ここを 進めていきたいんです








Posted by かた麺 at 2017年10月29日 08:48
> かた麺 さん

>>社外の事は防げなくても
>>社内の事は 防ぐ可能性は高くありませんか?

かた麺さんの言うとおり『可能性は高い』のでしょうけれど、

7年かけて対立がなくならない、良くも悪くもならないのなら、

今見ている問題はかた麺さんの影響力の外側、
直接触ることができない場所にあるのでしょうね(--;)

見えるけれど手の届かないところをどうにかしようとしても、
触れないから変えることができない


「他人の心」は基本的には変えられない(触れない)部分なので、


・学ばないと問題解決できないのに、学ぼうとしない
・『変化に対する恐怖』と『みんなが受けている損失』なら
  損失のほうがマシ
・『不正を正す』よりも『聞いてなかった・知らなかった』で
  責任を回避するほうが確実に自分の身を守れる


『正しい知識』ではなかったり、
『単なる思い込み』であったりするようなことでも、

「他人の心」のなかにあるものは、
直接は変えられないんでしょうね(--;)

おそらく、問題の核心部分は、
会社内の人たちが『循環と連鎖』のメリットとデメリットを
理解していない(しようとする気もない)ことなのでしょうけれど、

『見えているけれど触れない部分』は
どんなに長い間見ていても、手を伸ばし続けても
『変えられない』まま時間が過ぎるので・・・


問題の核心ではないにしても、

かた麺さんのコントロール下(触れられる範囲)で
『変えられる何か』を探して、

順を追って変えていくことはできないですかね?



『割れ窓理論』と呼ばれているものがあって、

ニューヨークで凶悪犯罪が多発している地域で、

あまりにも多発するので、
警察の手に負えない状態になっていたとき、

「落書き」「万引き」「違法駐車」「無賃乗車」のような

簡単に取り締まることができる『軽犯罪』を
徹底的に排除するようにしたら、

『凶悪犯罪』に対しては直接何か対策したわけでもないのに、
凶悪犯罪の件数が減って治安が回復した

というような・・・


凶悪犯罪のような「見えるけれど触れない問題」に対して
直接対策することができない問題に対しては、

軽犯罪のような「直接触れる範囲」のなかにある
「小さな問題」を徹底的に解決することで、間接的に対処する

という方法がありますね



もしも、かた麺さんが『個人の力だけで変えられる』ようなこと
「小さな問題」でもいいので、そういったものが社内にあるのなら、

一旦、『手の届かない問題(核心部分)』は保留にしておいて

変えられる範囲内(手が届く範囲)を徹底的に変えてしまう
というアプローチもありますね

Posted by ふみさと@管理人 at 2017年10月29日 19:24
小さな問題を 丁寧に直す

そこに『確信』が持てるまで
僕は3年かかりましたが
ふみさとさんは 1日で 目星を付け
窓割れ理論で 具体案を提案しています
これは ふみさとさんが 優れている
と言う話でも ふみさとさんにヨイショしたい訳でも ありません

話を脱線させます



Posted by かた麺 at 2017年10月30日 08:57
例えば エジソンが電気を発明した
エジソンは 偉い人 と とらえても良いんですが(事実ですから)

別のとらえ方も できませんか?
と思っています
電気を エジソンが発明しなくても
何10年後には 誰かが発明する
つまり 人類が 発明した
エジソンも その前の人類が発明した言葉や文化、文明を学んで無ければ
理論
つまり誰が最初にやったか ではなく
発明は偶然でなく必然(変な宗教家ではないです)
うう うまく伝えられましたかね?
Posted by かた麺 at 2017年10月30日 09:08
つまり
ふみさとさんが 僕より先に その知恵や理論を知っていて(学んでいて)問題との共通点から効率よく解決案を導き出した
つまり 人類の誰かが 僕の会社にある問題レベルの事は先に解決してくれていて
それを 僕の会社の誰かが 気付いてくれると(学ぶ)と 僕でなくても解決できます と言う事になると考えています

分かりにくくて すみません
Posted by かた麺 at 2017年10月30日 09:27
ひつこい連投 ご麺なさい

7つの習慣はつまずいた時に読み返したりしています
 最近では ボードゲーム化されているので そこから導入できたら みんな楽しみながら学びに繋がるかな〜なんて妄想する時があります
Posted by かた麺 at 2017年10月30日 12:03
> かた麺 さん

斉藤一人さんの「御霊(わけみたま)」の話に近いですかね?

人間の潜在意識は、
過去から未来までの人間の(場合によっては生き物全部)の記憶すべてとつながっている・・・とか、

「アカシックレコード」みたいな、
過去の「記憶」とか、
未来の「発見」「ひらめき」「発明」みたいな膨大な情報が
宇宙のどこかに保管されていて、

必要な時期に、必要な人物が、必要な情報にアクセスできる・・・とか、
(必要なものが『引き寄せ』られる)

「ひらめき」や「発見」は、
一見すると「偶然」に思えるけど、
実際は「御霊(わけみたま)」や「アカシックレコード」による
「必然」みたいな話ですかね?


かた麺さんがボクのブログに来て、コメントを書いて、
ボクがコメントに返信しているのも、

ボクとかた麺さんが『偶然』知り合ったと言うよりは、

『かた麺さんが求めているもの』と
『ボクが持っている知識(知恵や理論)』が一致していたから、
知り合うことも『必然(最初から知り合う決まり)』だったとか、


かた麺さんが「手が届く範囲」で「できることをやる」を続けていれば、

『(かた麺さんの)会社の誰か』に『知識』が引き寄せられるとか、
解決に必要な『知識を持った人物』と知り合いになるとか、
そういった機会が増えるのかもしれないですね



『7つの習慣』のボードゲームはおもしろい試みですね(^^)

『7つの習慣』を知っている人なら
ボードゲームにも興味を持つと思いますが

知らない人に興味を持たせるためには、
何か工夫が必要そうですね(^^;)
(ゴールした成績によって景品とか賞金をつけるとか?)
Posted by ふみさと@管理人 at 2017年10月30日 17:42
いや〜ビックリします
 
過去記事 心を軽くする8割ほど 読ませていただきました
 

 置かれていた環境 参考読物 考え方が似てると
出てくる発想・テーマ・キーワード・疑問点・解決手順の一致率が高すぎて驚きました
 

 実際の環境・立場・能力・行動の違いが あるので 結果は違いますが
 
 先を進んでる感じなので参考になります

 


 

 

Posted by かた麺 at 2017年10月31日 12:06
わけみたま・アカシックは初単語なので少し調べてみましたが、そうではない気がします
引き寄せは、かなり違う気がしますが
 否定はできません 僕が理解できないだけで
同じかもしれないので

例えば 目の見えない人(A君とします)が
 酸味と甘み モゴモゴしつつ サクっとした果物と表現します

    味覚のない人(B君とします)が
 青リンゴの赤いほうと表現した場合 

とらえる能力の違いによる表現方法の違いはありますが
 A君とB君は同じリンゴを伝えたいことになります

こういう例えを 瞬間的に思いつくのが僕で
 こういう例えを 違和感なく そのまま理解できるのが ふみさとさん(よく似た思考を持つ、または、より包括した知識のある人)ではないかと推測しています

 分からない人からするとコミニュケーション能力の差を感じて 分かるように話してくれよ
 となるが 分かり合うには あなた(上司)の分かる範囲の知識を、まず僕に説明してください
 となり、互いに、相手の特性を知った上で、手探りで分かり合う努力をしま…
 上司「うるせい この非常識が〜」
いえいえ常識と言うのは多数決で
多数決は必ずしも正しい事でもないのでは…
 のループで 以下ふみさとさんの過去記事に続く そんな感じです




Posted by かた麺 at 2017年10月31日 12:51
> かた麺 さん

>>わけみたま・アカシックは初単語なので少し調べてみましたが、
>>そうではない気がします
>>引き寄せは、かなり違う気がしますが

きっとボクが深読みしすぎたんですね(−−;)


エジソンが白熱電球を実用化したのも、

エジソンより以前に、
白熱電球の仕組み発明している人(ジョセフスワン)がいて、

後は『光っている時間を延ばす』ためにフィラメントの素材を探していた
(おそらくエジソンだけじゃなく他の発明家も)

いろんな発明家がフィラメントの材料をアレコレ探している中で、
たまたま一番最初にエジソンが「日本の竹」をフィラメントにすると
実用的な時間光り続けることを発見した

たとえ『エジソン』が発見しなくても、
発明家が手当たり次第にフィラメントの材料を探して試行錯誤していたので、
白熱電球は実用化されたはずです

『別の誰か』が『日本の竹』を発見したかもしれませんし
『竹』以外の『フィラメントに適した素材』を見つけたかもしれないですしね


きっと、ボクがかた麺さんのコメントに答えを返せたのも、

いろいろ試行錯誤していた中の一人(発明家)で、
たまたま、ぼくがかた麺さんのコメントに答えるための材料(日本の竹)を
持っていたから

かた麺さんのコメント(電球の仕組み)に手元にあった材料(竹)をはめることができたんでしょうね




>> 置かれていた環境 参考読物 考え方が似てると
>>出てくる発想・テーマ・キーワード・疑問点・解決手順の一致率が高すぎて驚>>きました


ボクが『無口な性格』だったこともあって、

周りの人から『ちゃんとコミュニケーションをとれ』とか、
『コミュニケーション能力がない』とか
散々言われてきましたからね(^^;)


コミュニケーション能力を『身につける努力』はしてきたつもりですし、

多少、理解力がない相手でも、『相手がわかるように話す』ことや、
多少、話すのが下手な相手でも、『相手の話を理解する』ことは
できるようになったつもりですが・・・

『他人の話を聞こうとする』ことができない人物については、
未だに上手くコミュニケーションする方法は見つけられていません(--;)


飲み会の席なら
おしゃべり = コミュニケーション能力が高い
無口 = コミュニケーション能力低い
という認識でも良いのでしょうが・・・



仕事の場でその価値基準を持ち出されると困りますね(--;)

他人の話を聞こうとせずに、
自分の主張だけをしゃべり続ける人がコミュニケーション能力が高いと
もてはやされると、

『言っていることが正しい』ときはそれでいいのですが、
『間違っているとき』に指摘することができないですし、


自分がコミュニケーション能力が高いと思っているせいで、
間違いを指摘をしようにも『聞こうとしない』

自分の言っていることが通じなければ『相手の理解力不足』
相手のいっていることがわからなければ『相手の説明力不足』

失敗すれば『間違いを指摘しなかった人のせい』

聴く耳なんか持っていないのに(そのことを本人が気付いていないので)
何かがあれば、後になって「言ってくれれば力になったのに」と
(本心で)言ってくる



ボクの場合は

『他人の話を聞こうとする』ことができない人物
(特に会社の上司という肩書きによって公然と許される人物)と
上手くコミュニケーションする方法は見つかりそうもなかったので、

『相手を変えられない』のはあきらめて、
そういう人となるべく関わらないように『自分が変わる』ことにしましたが



上司が『部下の話をさえぎる(聞かない)』ことはできても
部下が『上司の話をさえぎる(聞かない)』ことはできないので・・・

そのまま会社にいて昇進してしまう
(社内の上司よりも部下の割合を増やす)のも、
解決策にはなったんでしょうね



他人に対して「コミュニケーション能力がない」と非難する人物が、
実は一番コミュニケーション能力がない人物だという事実を知ってからは、

そういう人の話を聞けない人とは『関わらない』ことが
最も『自分にとってメリット』がある選択だと思うようにしています

無理に付き合わなくても
世の中にはちゃんと他人の話を聞ける大人もたくさんいますしね(^^)


『他人の話を聞けない人』にとっても、
間違いを気付いているのに指摘できない部下よりも
間違いを気付けない部下と関わっているほうがいいでしょうし・・・

たぶんこれも「Win−Win」ですね(笑)


Posted by ふみさと@管理人 at 2017年11月01日 14:31
理解してもらう事も 仕事の中の1つで

 正しい時は問題なく
 間違い指摘ができない←ここが理解できないと
1予防 2再発防止ができなくなるんです

相手の心は変えられない←まさに、その通りなので 
『知識』で行動は変わる事がある←これに挑戦!

 生物反応として
苦い→食べる→吐き出す(苦いと感じる感情部分は尊重)動物的直感による「生命維持」

知識がくわわると 行動が 変わる(人間の賢さの尊重)
薬→苦い→飲む(知識による生命維持)

心理的リアクタンスやカリギュラ効果(勉強しなさい→やる気がなくなる
押すなよ 押すなよ→押したくなる)
の僕的解釈として 
命令される(@行動をうながされる・A行動を制限される)→『必ず』無意識に反発心が生まれる。逆に反発心がないと生命として危ない
なぜなら (ここからが僕の仮説です。僕が知らないだけで誰かが発表してるカモです)
  生物は本能(生命維持)として
 自分の命は 自分で守る=自分の行動は 自分で決めないと=命令された事に 従うと 命の危機『反応』が起こる
 なので
自分の為を思って親や先生が投げかけてくれる
 「勉強した方が良いよ@」「ゲームばっかりしてないでA」 などの声かけ(丁寧な命令)であっても 頭で分かってはいるけど
行動や態度は裏腹に 「うるせー今からやろうと思ってたのに(やる気うせた→イライラ)」になっちゃいます

ようは、それが自然の反応なので 相手の心や感情には配慮するが、気にせず
 知識や体験で 自由が増える=『不自由を減らす』=リベラルアーツを学ぶ(自由になる学問)日本語で一般教養を習得する
 自由になる為に不自由だけど(学問する)を受け入れる 

ただ 不自由を経験しないと自由(制限が無い)は感じにくい
 例 財布を無くさないと 財布がある事のありがたさを 感じない
 海外で言葉が通じない事で 言葉が通じる ありがたさを 感じない
 なので義務(不自由)教育で日本語や一般教養(知識)を習う人が増えると
 自分の自由が増える(周りの人と話が通じる)
あなた(さとふみさん)と僕が会話ができるのは、教育を義務化してくれている結果なので
 義務違反ありがたし となります
その義務教育も 維持するには納税・勤労の義務(不自由)があるからで
憲法・法律や政治家の悪い部分ばかりに目が行くと税金は「とられる」になり
 先人達の努力、後人達へ繋ぐと とらえると税金を「お支払いする」や、「今の僕たちは何をしていくのか」なども『知識』ありだと思います
  
 

 
 
 






Posted by かた麺 at 2017年11月02日 12:30
あ 義務違反ありがたし ではなく 義務教育ありがたし です

 
Posted by かた麺 at 2017年11月02日 12:54
知識で 行動を 変える
 というより 
知識が増えると 選択肢が増える
 
最適行動ができるか は結局 
相手の自由(自みずからに・由よる)

 人間っておもしろいなぁ〜
Posted by かた麺 at 2017年11月02日 13:26
> かた麺 さん

>>『知識』で行動は変わる事がある←これに挑戦!

>>知識で 行動を 変える
>> というより 
>>知識が増えると 選択肢が増える

話を聞こうとしない人と知識を共有するのが大変かもしれませんが、
頑張ってください、

挑戦するだけの価値はあると思います(^^)



>>あなた(さとふみさん)と僕が会話ができるのは、
>>教育を義務化してくれている結果なので
>> 義務教育ありがたし となります

知識や会話の元となる背景が共有できているからこそ
会話も成立しますよね(^^)

せっかくなので、
ボクの名前も知識共有してもらえれば幸いです(笑)

×さとふみ → ○ふみさと

Posted by ふみさと@管理人 at 2017年11月02日 21:35
あ 名前間違い すみません

ふみさとさん だと硬い感じなんで
フミやん と呼びます( ´ ▽ ` )

そして 応援してま〜す

Posted by かた麺 at 2017年11月03日 07:49

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