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「辛い経験」「嫌な経験」の価値

先生


ふみさと「先生、今の会社は、仕事内容は難しくて神経をすり減らすし、」
ふみさと「他の社員は早く帰れるのに、ボクのチームだけ、真夜中まで残業させられるんだ」

ふみさと「そして、朝は上司の出勤時間に合わせるために、他の社員は誰もいないのに、」
ふみさと「ボクのチームだけ朝早く行かないといけない」

ふみさと「おまけに、時間がないんだから、会社ではすぐに作業に取り掛かれるように、」
ふみさと「家に帰った後や、通勤、帰宅の電車の中で仕事のことを考えて、頭の中で整理して来い」

ふみさと「そんなことを言われて怒られるんだ」

ふみさと「上司に辛いって言っても、『残業代が出るだけマシだろ!』だってさ・・・」
ふみさと「もう寝不足で毎朝辛いし、休みの日はずっと頭痛がするんだ」

ふみさと「他の人に相談しても、『他の会社に行っても、嫌なことはある』だって、」

ふみさと「会社員ってこんなに辛い仕事なの?どうしてみんな平気な顔していられるの?」

キリギリス先生「たぶん、ふみさと君のその会社は、『特に辛いケース』だと思うけど・・・」
キリギリス先生「でも、『辛い経験』や『嫌な経験』にはちゃんと意味があるよ」

キリギリス先生「だからって、長い間『辛い思い』や『嫌な思い』をする必要はないからね?」

キリギリス先生「もしも『辛い思い』や『嫌な思い』を望んでいないなら、」
キリギリス先生「『経験だけ』したら、はやく『幸せな生活』を手に入れるための行動をする良いよ?」









ボクを含めて、私たちが経験する「人生」のなかには、

「嬉しい、楽しい」時間もあれば、
「辛い、苦しい」時間もありますよね?

「生まれて」から、この記事を読んでいる「今このとき」までの人生の中で・・・

「一番楽しかった時期」と、「一番辛かった時期」を経験していると思いますが・・・

じゃあ、あなたの「今」は、
「楽しい時期」と「辛い時期」のどちら側でしょうか?


今まさに、「人生のどん底」に「辛い」人もいるかもしれませんし
今まさに、「人生の最高潮」に「楽しい」人もいるかもしれません

ちょうど真ん中ぐらいの「普通」の人もいますよね?

では・・・

生まれてから死ぬまで、
ずーーーーっと、「人生の最高潮」に「楽しい」人生をおくることはできるでしょうか?

もしも、生まれた家が「とても裕福」で、
生まれたときに、もうすべて幸せになるための、ありとあらゆるものがそろっていて

両親もとてもやさしくて・・・

生まれてから死ぬまで、
周りにある何もかもが自分の思い通り・・・

生まれてから死ぬまで、
ずーーーーっと、「人生の最高潮」に「楽しい」人生をおくる

そのためのありとあらゆる条件がそろっていたとしたら・・・


生まれてから死ぬまで、
ずーーーーっと、「人生の最高潮」に「楽しい」人生をおくる


それは、可能でしょうか?
それとも、不可能でしょうか?



答えは人それぞれでいいと思いますが

ボクの答えをいいますね?


不可能です・・・


生まれてから死ぬまで、
ずーーーーっと、「人生の最高潮」に「楽しい」人生をおくる
そのためのありとあらゆる条件がそろっていたとしても

不可能です・・・


その人生は、ずーーーーっと、
生まれてから死ぬまで、「普通」の人生です。


どうしてでしょうね?

ずーーーーっと、「人生の最高潮」に「楽しい」人生をおくる
そのためのありとあらゆる条件がそろっているのに


「普通の人生」って、どういうことでしょうか?


理由は・・・

ずーーーーっと、「人生の最高潮」に「楽しい」人生をおくる
そのためのありとあらゆる条件がそろってしまうと・・・


「人生の最高潮」に「楽しい」人生をおくるための、
最も重要な条件が絶対に手に入らないからです



それは、


「辛い経験」「苦しい経験」です


ボクを含めた私たちは、どうやって「幸せ」や「不幸せ」を感じているんでしょうか?

おそらく、「過去の人生」と比べて
「今の人生」が幸せなのか、不幸せなのか判断しているのではないですか?


比べるものがないと、「幸せ」も「不幸せ」も判断ができない


あなたは、
周りに食べ物がなくて、「飢え死に寸前」までお腹を好かせた経験はありますか?

ボクにはありません
おそらく、「今の日本」にいる多くの人は、
「飢え死に寸前」まで空腹になる前に、食べ物を手に入れることができます

もしかしたら、
「海外には、今でも多くの人が餓死している国がある」ことを知っているかも知れません

だとしたら・・・
生まれてから死ぬまで、「飢え死に寸前」まで空腹になることがない
それって、ずーーーーっと、「人生の最高潮」に「楽しい」人生を送ってきたことになりませんか?


でも・・・


ボクはどうしても、
生まれてから死ぬまで、ずーーーーっと、「人生の最高潮」に「楽しい」人生を送ってきたと、

頭で理解することはできても、実感がわかないんです

「海外には、今でも多くの人が餓死している国がある」ことを知っているだけで、
周りに食べ物がなくて、「飢え死に寸前」までお腹を好かせた経験はないので、


「海外には、今でも多くの人が餓死している国がある」ことを知っていて、
なおかつ、「今の日本」という、周りに食べ物がある環境にいながら、

「人生の最高潮」に「楽しい」人生をおくるための、
最も重要な条件がないのです。


こんな言葉があります
人は、無為より生じ、無為を知るため有為を経て、無為を自覚し、無為に至る

昔の中国の考え方のひとつです

「荘子」や「老子」のような、中国の思想について詳しい人なら、
「聞いたことがある」「知っている」かも知れませんね。


有為(うい)と、無為(むい)にはいろいろな意味がありますね

有為(うい)
作り物のことだったり、時が立つと変化していくものだったり、
文字通り、何か物事を「為(な)そう」という状態が有ることだったり

無為(むい)
作られていない自然なもののことだったり、時がたっても変わらないものだったり
文字通り、何か物事を「為(な)そう」という状態が無いことだったり(←自然体でいること)


人が「有為(うい)」であるとか、
人が「無為(むい)」であるとか、

そういった使い方をされるときは、

有為(うい)は、何か物事を「為(な)そう」として、
その人が「無理をしている」状態のことを表す言葉


無為(むい)は、「為(な)そう」としていない、
その人が「自然体でいる」状態のことを表す言葉


もっと、僕たちが慣れ親しんでいる、ありふれた言葉で言うなら


有為は、「辛い、苦しい」こと、
無為は、「嬉しい、楽しい」こと、

なので、

人は、無為より生じ、無為を知るため有為を経て、無為を自覚し、無為に至る

というのは、こんな風に訳せますよね?

(ボクを含めた私たち)人は、
生まれたばかりのときは、
「嬉しい、楽しい」状態で過ごしている

ある程度年齢が上がると
自分が「嬉しい、楽しい」状態で過ごしていることを知るために「辛い、苦しい」経験をする。

「辛い、苦しい」経験をすると、その経験と比較して、自分が「嬉しい、楽しい」状態で過ごすとはどういうことなのか?を自覚できるようになる。

そして、自覚した後は、
自分の人生を「辛い、苦しい」状態から、「嬉しい、楽しい」状態にしていくものだ


ボクの人生を例にとって話すと・・・

ボクは、ごく普通に、両親や親戚に愛されて生まれました
(幸運にも「望まれない子供」ではなく、普通に生まれました)

人は、無為より生じ、

生まれたばかりのころは、自分で自覚はしていないものの、
「嬉しい・楽しい」状態の中で過ごしました

生まれてきたら、「生まれてきてくれてありがとう」
「パパ」「ママ」何か言葉を話せばそれだけで褒められて、
「寝返りができるようになった」ら、それだけで褒められて、
「ハイハイができるようになった」ら、それだけで褒められて、
「新しい言葉を覚える」たびに褒められて、

「二本足で立てるようになった」「歩けるようになった」
「一人でご飯を食べられる」「一人でトイレに行ける」

それだけで褒められる人生でした


無為を知るため有為を経て、

小学校に入ると、同じ学年のほかの子供と比べられるようになりました

成績表をもらいます。

「たいへんよくできました」
「よくできました」
「できました」
「がんばりましょう」
「もっとがんばりましょう」

他人と比較されるようになります

他人よりも優れていると褒められますが
それ以上に、他人よりも劣っているところを直すように言われ始めます

・社会の成績が悪いね
・他の子は「逆上がり」ができるのに、ふみさと君はできないね
・他の子は「二重とび」ができるのに、ふみさと君はできないね
・他の子は「ピアニカが演奏できる」のに、ふみさと君はできないね
・他の子は「リコーダーが演奏できる」のに、ふみさと君はできないね

社会は嫌いですが、
というか、「社会」に限らず、小学生のころは「学校の勉強」は好きではありませんでしたが、

「無理をして」勉強をしました。

先生が言うので、
「無理をして」リコーダーの練習をして
「無理をして」ピアニカの練習をして
「無理をして」逆上がりの練習をして
「無理をして」二重とびの練習をして

結局、今でもできないんですが・・・(^^;)

まぁ、知ってのとおり、
大人になってから、「できなくて困る」ことも無ければ、「できて得する」こともないですね


中学校に入っても、他人と比較され続けます

ただし、「高校受験」が有るので、
「体育」や「音楽」が不得意でも、注意を受けることは少なくなります

代わりに、
「国語」「算数」「理科」「社会」「英語」に不得意科目があるとものすごく注意されます
ちゃんと勉強しないと、志望校に受からないぞ!

ボクにとっては?
中学校は、小学校よりマシでした

「体育」や「音楽」が不得意だったので、それで注意されなくなるのは好都合でした
「国語」「算数」「理科」「社会」「英語」は、やればできるレベルだったのであまり注意されません

高校でも、中学とほぼ同じです

ただ、志望する大学の受験に必要な教科が不得意だと
たくさん注意されるようになります

大学生になると、
「受験」のかわりに「就職」が待ち構えます

小学校、中学校、高校と、
「勉強の成績」で他人と比較されて、
他人よりも優れていると褒められ、劣っていると注意される、そんな中で生きていきました

「国語」「算数」「理科」「社会」「英語」は、そこまで好きではありませんでしたが、
「無理をして」すべての教科で平均以上の成績を取れるように勉強しました

そして、就職活動、会社へのアピールです

「国語」「算数」「理科」「社会」「英語」、すべての教科で「平均以上」です!
学校の勉強がんばってきました!


そして、口にこそ出しませんが、
就職活動の面接官に、こんな態度をとられてしまいます


学校の勉強をがんばった?だから何?
それがこの会社でなんの役に立つわけ?
勉強以外でがんばったことがないの?そんな人が会社で使える人間なわけ?


勉強で「他人よりも優れている」「平均点以上」
それに何の価値があるの?

ボクは、「無理をして」手に入れた
勉強で「他人よりも優れている」「平均点以上」

褒められるどころか、役に立たない、価値がない
そんなことより、自分のやりたいこと、好きなことをがんばった人のほうがいい

「自然体」に好きなこと、やりたいことをやってきた人が褒められる

何とか内定をもらい
「会社員」になります

比較されるのは、「他人」ではなく「上司の中にある理想の部下」

褒められることはなくなります
注意されることは増えます

理由ですか?

「上司の中にある理想の部下」を超えることができれば褒められるし、
「上司の中にある理想の部下」よりも劣っていると注意されます

そして、
「上司の中にある理想の部下」を超えることは不可能です。

何とかがんばって、「無理をして」「無理をして」
「上司の中にある理想の部下」に近づこうとします


「無理をして」「無理をして」「無理をして」
どんなに無理をしても・・・

「まだ足りない」「全然足りない」
「もっとやれ」「ちゃんとやれ」
「失敗するな」「注意力がないな」
「コミュニケーション能力がないな」「頭が悪いな」「飲み込みが悪いな」

無為を自覚し、

「会社員の経験」がある人ならこんな気持ちを持ったことはありませんか?

学生に戻りたい

「上司の中にある理想の部下」という、
どんなに「無理をして」も、人間には超えることが不可能なものと比べられて注意される
「辛い、苦しい」毎日よりも、

学生のころ、
「他人」という、「無理をして」超えることができる存在と比較されていた時のほうが
「楽しい、嬉しい」毎日だった

「会社員」という「辛い、苦しい」を経験したことで、
「学生」が、「楽しい、嬉しい」ものであると、知ることができた



そして、その後ボクは「本当に学生に戻る」経験をして、
やっぱり学生って「楽しい、嬉しい」ものであると知ってから、

また会社員に戻ります

大学新卒で入った会社と、
大学院新卒で入った会社の2つの会社を経験しています

そして、

経験することになります
大学新卒で入った会社よりも、大学院新卒で入った会社の上司のほうがマシ

もちろん、
「上司の中にある理想の部下」と比較されて、注意されることには変わりありません。

この記事の一番最初のほう、
「キリギリス先生」と、ボク「ふみさと」の会話に出てきた
「ふみさと」が言っているセリフは、マシな会社のほうのことです

上司の頭の中に有る理想の部下と、
それに近づくために「無理をしている」ボクが読み取れるでしょうか?


無為に至る

そして、今ですが・・・
会社員を辞めてアフィリエイターとなっています

「他人」と比較をされることも、
「上司の頭の中に有る理想の部下」と比較されることもなくなりました

そのおかげで、

「他人」よりも優秀であるために「無理をする」必要も無く
「上司の頭の中に有る理想の部下」に少しでも近づくために「無理をする」必要も無く・・・

ありのままの自分
「自然体」で生活することができるようになりました。

そして、「自然体」でいる今、
ボクは「嬉しい、楽しい」と感じて生きていくことができています。

なぜなら、

何とかがんばって、「無理をして」「無理をして」
「上司の中にある理想の部下」に近づこうとしていた

「辛い、苦しい」会社員という経験が有るからです。


人は、無為より生じ、無為を知るため有為を経て、無為を自覚し、無為に至る

あなたは、今、「嬉しい、楽しい」状態で毎日を送っていますか?
それとも「辛い、苦しい」状態で毎日を送っていますか?

「有為を経て、無為を自覚し」て終わりではなく、
最後は、「無為に至る」のが本来の人のあるべき姿だと、
老子、荘子の時代の、昔の中国では考えられてきました

「辛い、苦しい」経験をしたことで、
自覚はしていなかったけど「昔は幸せだったんだな〜」と、思い出にふけって終わりではありません

「辛い、苦しい」毎日から、
また、「楽しい、嬉しい」毎日にすることが「あるべき姿」です。

もしも、会社員時代のボクと同じように「辛い、苦しい」状態で毎日を送っていて、
そんな毎日を何とかしたいと思っているなら・・・

「無為に至る」ために、
少しだけ毎日を変えてみませんか?

「上司の頭の中に有る理想の部下」に、「無理をして」近づこうとするのを辞めてみませんか?
ほんの少しだけ「自然体」で毎日を過ごしませんか?

いきなり、サラリーマンを辞めるのは勇気がいると思います。
でも、少しだけなら変えられますよね?

もし良かったら、ボクが作った無料レポートをどうぞ

freeReport.gif



コメントも大歓迎です(^^)


昨日の記事で予告していた、「自己投資」の話は、
明日に変更させてください(--;)

あとは、日本が「ストレス社会」の理由の記事も書きたいな・・・

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