「ふみさと」の経歴
2015年03月30日 10:20
| 自己紹介
このブログの管理人「ふみさと」の経歴です。
長いですので、興味がある部分だけをさらっと流し読みしていただければ幸いです。
ボクのプロフィールはこちら
0歳
岩手県の花巻市に生まれる
花巻市は「わんこそば」「宮沢賢治」が有名です(知ってますかね?)
岩手県は、NHKの「どんと晴れ」「あまちゃん」で認知度は上がっていると思います
1歳〜5歳
両親が共働きだったので、親が仕事の間「さくら保育園」に預けられてました。
3歳からは「みなみ幼稚園」にも通うようになります
特撮とアニメが好きなテレビっ子で、
好きな番組の曜日と時間は一週間分すべて記憶してました
(小学校に入って新聞のテレビ欄の文字が読めるようになるまで)
戦隊ヒーロー、ウルトラマン、ゴジラ、ドラゴンボールが好きで良く観てました
当時の将来の夢はテレビに出てくる「ヒーロー」
6歳〜12歳(小学生時代)
「若葉小学校」ではアレルギーのせいで鼻水がとまらず、そのことでイジメられてました。
勉強はできたほう(算数・理科は得意、国語の作文と漢字・社会の暗記は苦手な理系)
運動は全くダメで、鉄棒の逆上がり、縄跳びの二重とびは、できずじまいでした
(↑まじめなのでちゃんと練習していましたが、高校以降全く役に立たないことを知って後悔しました)
ポケモンが流行りはじめたころで、アニメを見てました。
ゲームボーイは持っていないけど、頭の中で脳内パーティーを組んだりしても妄想力を磨いてましたww
このときの将来の夢は特になくて、将来なりたい職業を聞かれて困っていた
「人と話すのが苦手」で小学生が知りうる限りの仕事でどんな職業に就くにも、その苦手を克服する必要があって、正直、ずっと子供でいたいと思っていた。
13歳〜15歳(中学生時代)
「花巻中学校」では、いじめられることはなくなり、無口にもかかわらずなぜかそれなりに人気はあった。
まじめな性格が幸いして勉強はできるほうだったのでそのせいでしょうか?
テレビっ子だったため前々からアニメを観てはいましたが、このころ「カードキャプターさくら」が放送され始めて、現実の女の子よりもアニメキャラの女の子の方を好きになる、アニメオタクになりました。
当時の将来の夢は「漫画家」、でしたがそれほど本気でなりたいと思っていたわけはなく、
むしろ大人になりたくない、働きたくないと言う気持ちのほうが強かったです。
16歳〜18歳(高校時代)
「花巻北高」では、成績は良かったです(世界史を除いては)。
人と話すのが苦手なのは変わりませんが、必要なことはしゃべれるため、それほど問題とされず、成績が良かったので、むしろ周りの大人からは好印象をもたれていたと思います。
このころは家庭にパソコンとインターネットが普及してきたころで、自分の家でもインターネットがつながっていました。
ほしい情報がすぐに手に入る環境になったことで、趣味が一気に増えました。
アニメ、TVゲーム、トレーディングカードゲーム、インターネットサーフィン、ガンプラ
増えたと言っても、どれもアキバ系オタク趣味に偏っています(^^;)
19歳〜22歳(大学生時代)
「岩手県立大学 ソフトウェア情報学部」では、周りの友達がすべてオタクであるため、自分がオタクであることを隠す必要がなくなりました。大学の友達とは、今でも交流があります。
23歳(サラリーマン1回目)
大学を卒業後、新卒1回目で入った会社は、地元、岩手県の税務系のソフトウェアを開発している会社でした。
初めてのサラリーマンで、右も左もわからない状態で、仕事の指示ももらえない、
わからないまま仕事を進めて、上司に仕事を聞いても上司が何を言っているのかわからない
何よりも電話応対が全くできない
毎日上司の部長に怒鳴られて、毎朝、スーツに袖を通そうとするだけで吐きそうになり
車を運転している中、会社へ行く恐怖で頭が朦朧として何度か事故を起こしそうになりました。
結局その会社は3ヶ月で辞めました。
その後3ヶ月ほど父親の「まるかんのお店」の手伝いをしていました。
そこで「斉藤ひとりさん」の本を読んで、サラリーマン意外に、独立して起業する人生について考え始めるようになりました。
23歳〜24歳(大学院生時代)
恐怖の会社から逃げ帰った「岩手県立大学 大学院」10月入学で入ったので、半年ずれているものの、ストレートで大学院進学した友人と一緒に再度学生生活を送りました。
大学の研究は引き続きパスワードについて研究していました。
大学院生だったころ、
「一度会社を辞めた人間が会社に就職できるのか?」とか、
「もし就職できなかったどうすればいいのか?」とか、
「もし会社に就職できたとして今度は続けていけるのか?」といった不安から、
もし会社に入れなくても何とかなるようにしなければと言う思いから、
アフィリエイトの勉強や、ネクストリーダーのメールマガジンで「起業」や「成功法則」についての勉強をしていました。
「成功法則」を勉強していく中で、「オタクとして提供する側になりたい」という思いはしてもあきらめていた夢が「できるかも」「絶対やりたい」と言う思いに変わっていきました。
25歳〜27歳(サラリーマン2回目)
東京の技術者派遣会社「デザインネットワーク」に入社して、東京電力の子会社「テプコシステムズ」に派遣され、原子力発電所の解析の仕事をしていました。
サラリーマンとして仕事をしながらも「成功法則の勉強」は続けていました。
「会社で働きながらも、3年サラリーマンをやったら、独立する」と言う意志が固まっていました。
以前は、「できそうにない」とあきらめていたのですが、ジェームススキナーの「成功研究会」と言う教材を買って勉強したことで、「オタクとして提供する側になりたい」と言う思いが、「できそう」と思えるようになっていました。
2回目の会社は2年と半年ほど続きました。
27歳〜現在
うつでお医者さんから診断書をもらい、1ヶ月ほど会社をお休み
「サラリーマン3年」には半年ほどはやいものの、ちょうどいい機会なので、会社を退職し、アフィリエイターで生活しています。
長いですので、興味がある部分だけをさらっと流し読みしていただければ幸いです。
ボクのプロフィールはこちら
0歳
岩手県の花巻市に生まれる
花巻市は「わんこそば」「宮沢賢治」が有名です(知ってますかね?)
岩手県は、NHKの「どんと晴れ」「あまちゃん」で認知度は上がっていると思います
1歳〜5歳
両親が共働きだったので、親が仕事の間「さくら保育園」に預けられてました。
3歳からは「みなみ幼稚園」にも通うようになります
特撮とアニメが好きなテレビっ子で、
好きな番組の曜日と時間は一週間分すべて記憶してました
(小学校に入って新聞のテレビ欄の文字が読めるようになるまで)
戦隊ヒーロー、ウルトラマン、ゴジラ、ドラゴンボールが好きで良く観てました
当時の将来の夢はテレビに出てくる「ヒーロー」
6歳〜12歳(小学生時代)
「若葉小学校」ではアレルギーのせいで鼻水がとまらず、そのことでイジメられてました。
勉強はできたほう(算数・理科は得意、国語の作文と漢字・社会の暗記は苦手な理系)
運動は全くダメで、鉄棒の逆上がり、縄跳びの二重とびは、できずじまいでした
(↑まじめなのでちゃんと練習していましたが、高校以降全く役に立たないことを知って後悔しました)
ポケモンが流行りはじめたころで、アニメを見てました。
ゲームボーイは持っていないけど、頭の中で脳内パーティーを組んだりしても妄想力を磨いてましたww
このときの将来の夢は特になくて、将来なりたい職業を聞かれて困っていた
「人と話すのが苦手」で小学生が知りうる限りの仕事でどんな職業に就くにも、その苦手を克服する必要があって、正直、ずっと子供でいたいと思っていた。
13歳〜15歳(中学生時代)
「花巻中学校」では、いじめられることはなくなり、無口にもかかわらずなぜかそれなりに人気はあった。
まじめな性格が幸いして勉強はできるほうだったのでそのせいでしょうか?
テレビっ子だったため前々からアニメを観てはいましたが、このころ「カードキャプターさくら」が放送され始めて、現実の女の子よりもアニメキャラの女の子の方を好きになる、アニメオタクになりました。
当時の将来の夢は「漫画家」、でしたがそれほど本気でなりたいと思っていたわけはなく、
むしろ大人になりたくない、働きたくないと言う気持ちのほうが強かったです。
16歳〜18歳(高校時代)
「花巻北高」では、成績は良かったです(世界史を除いては)。
人と話すのが苦手なのは変わりませんが、必要なことはしゃべれるため、それほど問題とされず、成績が良かったので、むしろ周りの大人からは好印象をもたれていたと思います。
このころは家庭にパソコンとインターネットが普及してきたころで、自分の家でもインターネットがつながっていました。
ほしい情報がすぐに手に入る環境になったことで、趣味が一気に増えました。
アニメ、TVゲーム、トレーディングカードゲーム、インターネットサーフィン、ガンプラ
増えたと言っても、どれもアキバ系オタク趣味に偏っています(^^;)
19歳〜22歳(大学生時代)
「岩手県立大学 ソフトウェア情報学部」では、周りの友達がすべてオタクであるため、自分がオタクであることを隠す必要がなくなりました。大学の友達とは、今でも交流があります。
23歳(サラリーマン1回目)
大学を卒業後、新卒1回目で入った会社は、地元、岩手県の税務系のソフトウェアを開発している会社でした。
初めてのサラリーマンで、右も左もわからない状態で、仕事の指示ももらえない、
わからないまま仕事を進めて、上司に仕事を聞いても上司が何を言っているのかわからない
何よりも電話応対が全くできない
毎日上司の部長に怒鳴られて、毎朝、スーツに袖を通そうとするだけで吐きそうになり
車を運転している中、会社へ行く恐怖で頭が朦朧として何度か事故を起こしそうになりました。
結局その会社は3ヶ月で辞めました。
その後3ヶ月ほど父親の「まるかんのお店」の手伝いをしていました。
そこで「斉藤ひとりさん」の本を読んで、サラリーマン意外に、独立して起業する人生について考え始めるようになりました。
23歳〜24歳(大学院生時代)
恐怖の会社から逃げ帰った「岩手県立大学 大学院」10月入学で入ったので、半年ずれているものの、ストレートで大学院進学した友人と一緒に再度学生生活を送りました。
大学の研究は引き続きパスワードについて研究していました。
大学院生だったころ、
「一度会社を辞めた人間が会社に就職できるのか?」とか、
「もし就職できなかったどうすればいいのか?」とか、
「もし会社に就職できたとして今度は続けていけるのか?」といった不安から、
もし会社に入れなくても何とかなるようにしなければと言う思いから、
アフィリエイトの勉強や、ネクストリーダーのメールマガジンで「起業」や「成功法則」についての勉強をしていました。
「成功法則」を勉強していく中で、「オタクとして提供する側になりたい」という思いはしてもあきらめていた夢が「できるかも」「絶対やりたい」と言う思いに変わっていきました。
25歳〜27歳(サラリーマン2回目)
東京の技術者派遣会社「デザインネットワーク」に入社して、東京電力の子会社「テプコシステムズ」に派遣され、原子力発電所の解析の仕事をしていました。
サラリーマンとして仕事をしながらも「成功法則の勉強」は続けていました。
「会社で働きながらも、3年サラリーマンをやったら、独立する」と言う意志が固まっていました。
以前は、「できそうにない」とあきらめていたのですが、ジェームススキナーの「成功研究会」と言う教材を買って勉強したことで、「オタクとして提供する側になりたい」と言う思いが、「できそう」と思えるようになっていました。
2回目の会社は2年と半年ほど続きました。
27歳〜現在
うつでお医者さんから診断書をもらい、1ヶ月ほど会社をお休み
「サラリーマン3年」には半年ほどはやいものの、ちょうどいい機会なので、会社を退職し、アフィリエイターで生活しています。
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